男一匹、修羅場道。

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一度底辺に落ちた男が、年収億を目指すクソみたいなブログ。

若き日の音楽、バンド活動。【PART 1】

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連日、曲をUPしたところ、
みなさんいっぱい聴いてくださって、ほんと感謝です。

 

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そしておひるね様、紹介、広げて頂いて感謝しかありません。

 

思えば、中学時代に初めてパソコンで作曲を覚え、
高校時代くらいになるとわりとスキルも高まって、
当時の友人に聴かせていました。

 

評判が良くて、MD(懐かしい)にダビングしてくれ、
と催促をもらうなど、あれ?俺、才能あるんじゃね?
って感じでどんどん勘違いしていました。

 

小学生くらいからオリジナルソングを歌っていた(母親談)
らしく、やはり歌うことと、曲を作ることの楽しさは、
生まれつきだったみたいです。

 

高校の部活は、もちろん軽音楽部です。
アニメの「けいおん」とかで今じゃ軽音はメジャーでしたが、
自分らの時は非常に煙たがられました。

 

なにしろ部室も体育館地下のせっまーい部屋。
そこで爆音を鳴らすもんだから、体育教官室が真上にあるので、

「うるせーよこのガキ」

 

と何度も怒鳴り込まれました。

 

文化祭などでステージに立ち、
次第に人前で歌を披露することに喜びを覚えるわけです。

 

当時色々コピーしました。
GLAYラルクLUNA SEAV系が流行ってたので・・・

 

もちろん、わたしが作ったオリジナルもやりました。
でも、伝えるのが困難で・・・。

 

私は耳が良いのか、曲を分解して(パート別に)聴けるんですが、
他の友人にはわざわざそのパートだけの音源渡したりしてました。

 

下級生にファンクラブができたりしましたが、
わたしは奥手なので、手は出してません。

 

まー楽しい高校生活も、三年半ばになると受験ですよね。
ほんとは音楽の専門学校に進みたかったですが、
両親と担任の猛反発を喰らい、

 

担任曰く、「頑張って大学進め。それで4年間好きな音楽したらいい」

 

と言われ、
まー確かに、音楽のスキルなんて、
人から教わるものではない
し、ギターだって歌唱だって自己流というか独学だから、
ゆっくり磨いていけばいい。

 

そんな思いで、
某M大を受験しました。

 

進学校でしたが、私の偏差値はクソでした。
とてもとても、大学に進学できる学力は無いです。
だって高二の時に、300人中298位をマークしていましたから。

 

わずか一週間ほどの詰め込み学習と、
わかんない問題は、マークシートの「あいうえ」の
「う」に全部しよう。

 

この作戦で、なんと合格したのでした。

 

結果から申しますと、大学は4年で10日ほどしか行ってません。

 

じゃ何してたかって言うと、
合コンも、サークル活動も、何それ?って感じで、
ひたすらアパートで曲を作ってました。
そしてひたすら、レコード会社にデモを送ってました。

 

大学三年生のある日。

 

東京03から始まる見知らぬ番号が、私のPHSに。

 

そうです、レコード会社からの招待状でした。
「ちょっと会ってみたい。すごい良いなと思って」

 

飛び上がりましたよね・・。

 

まあ言っちゃえばバレちゃうかもですが、
当時TMR西川くんが在籍していたレーベルでした。

 

ふたつ返事で、レコード会社向かいましたよねー。

 

んでまあ、長くなって来たんでこっから割愛しまくりですけど、
仮契約したわけです。

 

そして、ディレクター、プロデューサー曰く、
ユニコーンみたいな、
みんな曲作れてみんな歌えるバンド
作りたい、ってことでした。

 

まあ、その大きな船に乗りましたよね。

 

自分はボーカルでしたので、
他のメンバーと面会し、意気投合し、
晴れてバンド結成!!!
まずは山梨県は山中湖のスタジオで合宿だ!!!となりました。

 

山中湖の東芝スタジオ。
二週間貸切で70万くらいだったと思います・・。
でもレコード会社だから金あるだろ、と。
自分は特に気にせず集中して曲作りに励みました。

 

つづく!!!!!!