テレビ等を観ていて感じる事。
毎年、夏から秋にかけてニュースで耳にするのが、
「老婆が山にキノコ取りに出かけ、途中クマに襲われ・・」という一連のシリーズ。
おまえら学習能力あんのか、と。
深い山にはクマがいて当たり前だし、勿論先に述べたようにニュースでも大きく取り扱われ、そうして毎年死人が出ていると言うのに、この老婆達の度胸と言ったらどうだ。 クマがいる事は地元なら周知の事実だろうが、それでも老婆達はキノコ取りに特化した最小限の装備で、しかも毎回単身で乗り込むこの根性。
これは初期装備でゾンビ巣くう洋館に放り出される「バイオハザード」の現実版と言っても過言では無い。
ていうか逆に、なぜキノコなのか?という最大の謎である。
そんなにしてまでキノコなのか?、そんなにもキノコが魅力的なのか?、
命を賭してまで得るものがキノコにはあるのか!?、
クマよりキノコなんだな !?・・・キノコだな!?
よーし!!キノコ、なんだな。わかった、キノコだ。
思わず熱弁である。
つまるところ、彼女ら老婆は、クマなんかどうでもいいほどに神がかり的な、それでいてシンフォニックでファンタジック、ブリリアントなものをキノコに感じているに違いない。それはきっと違う世界なのだろう。
わかった、それでは仕方ない。
それはきっと、触れてはならない世界なのだ。
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女の子のリポーターが美味しいお店をリポートするという番組をよく目にする。
で、一口入れて、
「あー、これ好きかもしんなーい」
これである。
最大級の謎だ。戦後最大級と言ってもいい。
かつてのロシアの怪僧ラスプーチン級と言っても語弊が無いほどの謎だ。
彼女は事実それを口に入れ、実際その舌で味に触れているというのに、
「好きかもしれない」。
この後に及んで「仮定」なのである。もっと言えば「好きかもしんない」けど「嫌いかもしんない」のである。
つまり、恐るべき事にまだどっちなのか決定できていないのである。
あるいは、「条件法」ともいえる。
「~なら、好きかもしんない」、そう、「if」であり、つまるところ、彼女の中でその味は決定打に欠けるのである。なにかもう一押し欲しい、という事を暗に彼女は示しているのである。
この事から察するに、このリポーターの女の子は、「かなりのやり手」という事がうかがえる。「そう簡単には認めない」という彼女の確固たる姿勢の表れであり、我々はこの軟弱日本の風潮に警鐘を鳴らす彼女のその心意気に、尊敬の意を表さずにはいられないのである。